私は大山田五郎という。歳は三十に近いが毎日の過ごし方をみればじいさまのような男である。
前回お話したとおり私は江古田という街に生活の基盤を置いている。朝は街の散歩にはじまり、一日の締めくくりは決まって街の赤ちょうちんである。
そんなことで本年ついに大学八回生となり、妖怪だとか仙人だとか言われる始末である。なんとも情けない。
この街を初めて歩いたあの日の話には、実は続きがある。
不動産屋の男と別れてから、私は狸の横で煙草を一本吸っていた。
よく冷えて乾燥した空気は私のマル◯ロに立派な火をつけた。砂埃がからからと舞い上がる。
狸の太鼓腹を眺めているとなんだか自分のそれが大変情けなく思えてくるもので、ふと見下ろすと「きい」と腹の奥から貧素な音がした。
朝から暇を持て余す腹の虫たちが、懸命に職を求める声だ。
思えば朝食に土産物のういろうを消化して以来、彼は仕事にありついていない。私の腹の虫のくせしてえらく働き者である。
突然、大砲のごとき太い風が地面から噴き上げたかとおもうと、斜め向かいの厚いこげ茶のドアがぎい、と開いた。
風に吹かれるがまま、静かな電飾のついたドアの向こうに吸い込まれた。腰の曲がった小さな少女が「お寒いでしょうに」と乾いた、しかし芯のある美しい声で言った。
私に言わせるでない、無論彼女は少女ではなない。大姉様である。
まだ開店前らしく客は私しか居なかったのだが姉様は隅を指さして笑ったので私は腰かけることにした。
奥に艶やかな黒のグランドピアノがあり、姉様はその陰からお冷を持ってひた、ひたとゆっくり歩いてきた。私の首元をひやっと湿った風がなぞる。
これから大鍋でぐるぐると煮え立った魔女の飯をたんと食わされ、ついには私までお供え物になってしまうのではないか。不安が背筋を伸ばすようであった。
しかし姉様が私にお冷を差し出したとき、はっとした。私はまったくの見当違いをしていたらしい。
「おかあさん…」
私はつい声に出してしまったのだが、小学生が先生をお母さんと呼んでしまったときような恥ずかしさは無かった。
姉様も驚いた様子はなく寧ろ目をほそおくさせ「いらっしゃい、まーせー」と可愛く言った。
褪せたタータンチェックのテーブルクロスはまるで姉様の昔のワンピースの生地を思わせるほどチャーミングである。
そこで私はその店限定のオードリーというメニューを注文して空っぽの腹をなぐさめてやった。グレゴリーのほうが大盛りですよと言われたのだが恥ずかしながら私の謙虚な胃袋はオードリーで十分であった。
味はというと、キッチンから時より覗くコックのじいさまのように整っていて深い、なによりこの私を僅かながらノスタルジックにさせるものだった
最近怠惰であった私の集中力が、すぐにブルーの大皿を空にした。鼻の奥あたりの私の感覚器官がじぃんと震えたことは敢えて口には出すまい。
お勘定をすましてから私はいつものように小銭を裸のまんまジーパンのポケットに押し込めたのだが、幾分様子が違う。
じゃり、と何かが擦れた音がした気がして慌てて中を掻き回してみた。
おや?
拳を恐る恐るひらいてみる。
「有孔虫ではないか…」
いや、有孔虫というのは語弊がある。有孔虫が死んで残した石灰質の殻。
解りやすく申し上げると「星の砂」である。
外で待ち構えていたあのキテレツな狸が歯を出して笑ったので私はまさかなぁ、と思って小銭の数を数えてみるのであった。
く、じゅう、じゅういち…。
ピアノの陰からぬうっと現れる姉様と目の前の狸の引き笑いが私の頭の中
で交錯したのだが、小銭の数は正確で、しかも素数であった。
「狸に撒かれたのかと思ったわ…」
私は商店街とは思えないほど静まり返った日暮れの通りをまた歩き出した。
この街では不可解なことが起きてもさほど不思議ではない気がする。胃下垂で狸のように膨れた腹をさすりながら思うのであった。
さて、翌日私はまたあの胡散臭い男のところにわざわざ出向いていって、十日後には私の江古田生活が幕をあけた。
そして幕の上がってしまったこの江古田物語の中でどうしても前置きが必要になったので先に申し上げる。
スガ子という一人の女の存在である。
江古田にある大学の芸術学部の二回生であり、本名は菅山節子という。
名前負けとはこの女の為の言葉であり、この女には節度も節操もなく節約も大の苦手である。
スガ子はいつからか私の住居になんとなく現れては数日居座ったのち、突然姿を消す。そうかと思えば私が目を覚ますと風呂場でぐうすか寝ていたりする。
トイレの電気が付けっぱなしになっているなどまだまだかわいい方で、風呂の湯を勝手に溜めているかと思えば、風呂場を覗きに行くたび毎度水気のない浴槽を目の当たりにして「ひゃあ!」とサルのような甲高い声をあげるのである。あの女は「栓をする」という人間の英知を知らない。
誤解しない頂きたいのは、私がスガ子の恋人でも兄弟でも仲の良い友人でもないということである。
寧ろ知人だということすら隠しておきたい。
スガ子との出会いは七月、江古田駅北口を降りてすぐにある浅間神社であった。
その日は年に三回の山開きと言って、神社の中にある「富士塚」に登ることで本物の富士山に登ったのと同じご利益があると言われていた。
私が頂上に到達し拝んでいると、頭上よりなにやら白い粒が降ってきて髪の毛に次々と吸い付いた。
私が怪訝な顔で振り向くと、一人の痩せた女が肩から掛けたポシェットの中から取り出したポン菓子を次々振り撒いていたのである。
歩いている殿様ガエルが大型トラックに轢かれてからそのままの形で天日干しされた柄の、気色悪いポシェットであったことは忘れもしない。
「夏の雪!」
スガ子は私の表情など無視して笑いかけた。
ショートボブで緑色のまんまる頭、華奢なこともあり、スガ子はまるでカビの生えたりんご飴のようであった。
耳には食べかけの棒キャンディーが引っかけてある。中山の勝負師顔負けである。
妙ちくりんな女の出現に私が立ちすくんでいると
「あらあ、夏雪山の伝説ね。綺麗じゃないの」とスガ子の後ろに並んでいた白髪の姉様が言った。
大昔この神社の所有をめぐり小竹町と江古田町が争っていたところ天変地異が起きて夏に雪が降った。それに驚いた双方は争いをやめたという言い伝えがある。
にこやかな姉様とスガ子の周りに野次馬が集まってき始めたころ、神社の神主と思われる男が閻魔の顔でひいこら富士塚を登ってくるのが見えた。
密告者がいたのだ。
「ハトとかカラスが来ちゃって困るのよねぇ」
私とスガ子はお掃除という求刑を粛々と受けた。
片付けるどころかスガ子はポン菓子の土を払ってからスイスイと口に運んでゆく。
「もうお腹いっぱいだわ」
スガ子がポン菓子をひと握りカエルののポシェットに戻したかと思うと、代わりに握られていたのは五〇〇円玉であった。錬金術ならぬポン金術である。
「お詫びに一杯ごちそうするわよ」
「女に奢ってもらう義理はない」私は即答した。なにより面倒な女に関わりたくはない。
ところが結局気づいた時にはお志どりの座敷に正座させられていた。目の前に鎮座するみどり頭の生き物はすいすいすいすい、ポン酒を吸い込んむのであった。
こんなにも気持ちの良い春の日の終わりを駅前の古ぼけたゲームセンターの前で迎えるなどと、誰が想像しただろうか。
「私、ムエタイとマーシャルアーツやってるのよ!」
あの女の脅迫まがいの自己紹介が頭の中をぐるぐると回ってゆく。
手垢だらけのクレーンゲームの中から私を哀しく見つめる黄色いクマの顔が、記憶の川を行ったり来たりした。
泥酔したスガ子のタイキックをまともに背に受けた私は、生温かいコンクリートの上で不本意な眠りにつくのであった。
[発行]ガラクタ出版(ガラクタや ネバーランド)無断転用複製複写禁止
[表紙]イラスト/鈴木まど香
[協力]ハルノビ(練馬)、虎の子屋(江古田)、大橋屋(江古田・新江古田)、ねっこカフェ(江古田)、暮らしを美しむ店環(江古田)、喫茶ポルト(江古田)、いちカフェ(江古田・新江古田)、中華総菜 ねん(練馬)、オイルライフ(江古田)、みつぼし(江古田)、パーラー江古田(江古田)、のらりくらり(江古田)、みつるぎカフェ(江古田)、ネコカヴリーノ(新江古田)、ヴィエイユ(江古田)、ランガイ(江古田)、喫茶プアハウス(江古田)、浅間湯スタジオラグーン(江古田)、練馬・桜台情報局、ネリマガ、ねりま街づくりセンター