たぬきたん(奇譚)第十三話

たぬきたん(奇譚)

 私の名は大山田五郎。
 毎夜この街に帰りつく、ひとりの男である。
 本日も池袋駅の二番ホームから豊島園ゆきの鈍行にとび乗る。
さきほどまで山姥(やまんば)に追われていましてね―。背中でそう語りだしそうなサラリーマンも発車すぐさま寝息をたてている。
 草臥れた男たちとこうして日暮れどきの列車に揺られることにもいくらか慣れてきた。
 おっと、失礼。鈍行とはいわゆる各駅停車のことであり、普段学友たちに鈍行の意味が通じることは稀だ。
 後輩の尾丸にも「それって、ハゼの仲間ですか」と質問されたばかりである。
 私の育った田舎には単線列車がたった一本だけ、それも鈍行の二両編成がえっちらおっちら、走っていた。
 改札も駅員も存在しない駅というのは、遠目で見ると大きな石のかたまりで
しかない。屋根すら無いのだ。駅舎とは呼ぶにはしのびない、長くて大きな、石である。
 山の中の大男がお散歩の途中コロリと落としてしまったみたいに、畑野のど
まんなか、いつだってそれは不相応な場所に佇んでいる。周辺には葡萄畑と、色も形もてんでばらばらな椅子が六つ。
 誰が置いたかも知れない待合椅子は、六つもあるのにぽつん、としていた。
 切れ者の車掌がキセルをしている高校生をはじから取り締まるので、自分の乗った駅をずばり当てられた高校生は深くこうべを垂れ反省するのが常である。
 一時間に一本列車がやってくればよいほうで、乗り過ごしたとしても幾つか先の駅へ走っていけば同じ列車に乗れてしまうほどチンタラしていた。
 歩いたほうが早い列車などあってたまるか、とお思いであろう。
 実際あるのだから仕方がない。その呑気さが最近では有名になって、わざわざ都会から訪れる乗客が増えたというのだから驚きである。
 数年前までは江古田とて渋い木造駅舎であった。
 どこからかしみったれた匂いが漂って、なぜかしら改札前に柴犬が待っていてくれる、そんな気がしてしまう。春雨が降った日、ふんわりと小便臭かったことは私の心の中だけにとどめてある。
 あの古い駅舎で帰り際女学生に頬をぶたれた男、いつまでも恋人を待ち続ける少女も幾人いたか知れない。多くの人の人生のワンシーンであった。
 代わり映えのしないこの新しい駅舎はこれから先、大人の駅舎に成長することはあるのだろうか。
 人々の悲喜こもごもを受けとめたり、見守ったりするのだろうか。
 私の思い出はというと、南口のファストフード店の三階窓際にもある。
 駅のホームや駅前広場を見渡せる特等席にて、ただ街の人々を眺めていた。
 黒髪日記、と自ら呼んでいるノートは、そこから観察した黒髪美女の背の高さや服装などをこざっぱりと記録したものである。
 たとえ黒髪であっても、すきっ歯の間にタバコを挟んで歩いている女性や、はしごとシャチホコを肩に担いだ女性などは無精な気がして好みのそれではない。そんな場合にはページの端に三角印がついていたりする。
この日記帳、みごと黒髪の彼女ができたあかつきには音もなく処分する予定であり、記録していた事実ごと処分するメカを開発するため理系に進んでおけばよかったと、悔やんでも悔やみきれない。

 「さあて、どこに寄っていくか、寄らずに帰るか」
 江古田駅の階段を降りるたび自問自答するのがこのところの日課だ。
 私はこの春から大学の講義にせこせこと通っている。
 この春から、といっても既に大学の九年生になっており、失った数年間を取り戻すため、心を入れ替え日暮れまで学舎にこもる日々が続いている。
 この失った数年間はといえば、朝から日付の変わるまで江古田の街を歩き回って店の看板の色かたちに関する考察を巡らせたり、気になる店をじっくり外から眺めては、中から出てきた店主と世間話をしたり。
とにかく平和な日々を送っていた。
 特に北口カリカなどのインドカレー屋はすぐに中から陽気なインド人が飛び出してきて、すぐに「おー、トモダチ」と肩を抱いてくれるため内向的な私も江古田ですぐにトモダチができた。
 しかし最近はどうにも様子が違う。
 街がまったく違って見えるのだ。
 日暮れの江古田駅。子どもを乗せた自転車はフルスピードで帰路を急ぎ、くたびれたスーツのおじさんは灯りを目指し頼りなく歩く。
婦人服店のドアに貼られた謎のキョロちゃんシールや、台湾屋台村の狭い階段に貼ってあるおどろおどろしい祭りの広告も、一日の重みを背負って歩く私の視界には入ってこなかった。
 「せーんぱい!」
 背中にのしかかってくるのは疲労と貧乏神だけではない。尾丸である。
 「せんぱい、今日、酒田教授の『酒と泪と男女の心理学』に出てたでしょ。しっかり講義出てるんですねえ、えらい、えらい!」
 並んで歩き出しても、夕闇にぼやっとと浮いているような街の違和感は消えなかった。
 「うーん。余裕が無いと色々と見えないのかもしれないですねえ。夜ってみんな行き先が決まってたり、疲れてたりするじゃないですか、夜の江古田は行くところじゃなくて、帰るところか、通過するところなのかも。自分の人生とは別もののような気がしていろんなものを通りすぎちゃう。一歩お店に入ればそのうち自分の生活の一部になるんですけどね」
 「帰るところ、か」
 五月になったとはいえ夜の通りは肌寒く、路地の中に風が吹くと迷子のような心持ちになった。
道の角でケバブを売るトモダチが、おお、オヤマダ、と太い腕で私を呼び止めたので、オオヤマダです、と何故か尾丸が代わりに訂正した。
 「でも、バーとか居酒屋とか、普段はなにもないようで、夜になると突然出現してまるで別の世界みたいで、なんだかワクワクしますよね」
 私の前をちいさな歩幅で歩く尾丸。
仄暗い赤提灯に見とれながら、ふと我にかえる。今更ながら自分がどこに向かっているのか、そのときはじめて尾丸に尋ねる始末であった。
 「珈琲一杯だけ、飲んで帰りましょう。僕今日、お腹調子が悪くてお酒はパス。それに疲れた体を元気にするのは食事だけじゃないですからね。人、ってこともあるじゃないですか、ふふふ」
 狭い階段を登って、右手にある重いとびらを開けた。
 いらっしぃませ、といつもの声が返ってきた。美千子さんである。
 いつもの黒髪、いつもの白いシャツ、透き通る肌。何かが違う夜の江古田
でも、いつもの美千子さんだ。
 大きな窓は開け放たれていて、木のぬくもりとひんやり通る風が全てのバランスを保っているようだ。
 尾丸がブレンドを二つ注文し、私はその大きな窓から夜の江古田を見下ろすことに集中していた。街からは焼いた肉や、煮込んだたまねぎの匂いがした。
 いつでもそこにあると思っていたもの―。
 豆屋のおやじの声。市場のなかの雑貨屋で店番をしていた小さな娘。歩々にたまっていたおばちゃんの井戸端会議。
 一日中街を散歩していたときの私は、ひとつ、またひとつと、無くなっていくものに気づいたものだった。
 大学へ出向くようになって、生活がほんの少し変わるだけ。それだけだと思っていた。
 しかし私を迎える夜の街は全く違う表情をしていて、なんだか他人行儀だ。
 きっとそれぞれの生活から見える街の顔があって、無くなっていくものにさえ気づかない人だって多いに違いない。
 「ブレンド二つ、お待たせしました。大山田くん、なんだか久し振りだね」
 いえ、本当は何度も来ようと思ったんですけどね、朝急いで履いたジーンズがお気に入りのリーバイスじゃなかった気づいたときにはもう気が滅入ってしまって、それで結局不機嫌なままここに来るのもなんだかなあと思って、それで飲みにいっちゃったりして、なんてことはおくびにも出さずに「どうも」と紳士な返事をし、急いで砂糖を二杯入れて何度も何度もかき回した。
 美千子さんの黒いエプロンについた行儀の良いシワを数えているときの、私のこころの穏やかさといったら。
 その平穏を奪う権利が誰にあったであろう。
 一日努めて勉学に励んだこの私から。
 「そうそう、先輩の部屋の本棚にあった『黒髪日記』ですけど、もう終わっちゃいそうじゃないですか、ついに二冊めに突入ですか。先輩の、えっち!」
 「おっ、お前、いつそれを…」
 美千子さんは洗い場でいつもどおり鼻歌を唄っている。
 私は慌ててなどいない。慌ててなどはいなかった。
 珈琲の水面に映るのは、瞳孔のひらいた不審な男。 
 いつまでも あると思うな 平穏な日々。
 日々をもっと丁寧に、慎重に生きようと心に誓っていた。

「たぬきたん(奇譚)」第十四話

[発行]ガラクタ出版(ガラクタや ネバーランド)無断転用複製複写禁止
[表紙]イラスト/鈴木まど香